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青色のハローキティが我が家にやってきた❕
(ミ・。・ミ)♡
わたしがキティちゃんにハマったのは大人になってから、ここ数年のことなんだけど
ついに買っちゃった❕ぬいぐるみ❕
(*⌒▽⌒*)
☟☟☟みてみて
光とキティ
鏡の国のキティ
ソテツとキティ
余談だけどわたしはソテツが大好き
南国みたいな木
サボテンとキティ
夜空の青が濃くていいね
赤信号の赤を受けるキティ
この白い花も大好き
チョンと真ん中が赤いのが良すぎる
なんて名前なのかな
松とキティ
こどもキティ
社用車とキティ
風刺画みたい
鏡の国のキティ2
ファンシーケーブルカーとキティ🍰🧁🤍
抱かれるキティ
キティonキティ
あそぶキティ
💜💅🔮 ͗ ͗✩࿐⋆*
かわい
たぬきの潜む町のzineができました📚
ドン‼️‼️
ついにずっとやりたかったzineが出来上がりました‼️
たぬきの潜む町の今現在、170を越えるたぬきの住人たちを
Instagramとは違った切り口でまとめております。
たぬきの出てくるマンガや描き下ろしイラストも載せての大ボリュームの32ページです!
サイズはB6で小さめにしたつもりが、届いたらA4でした。(間違えすぎだ。。)
印刷物を発行するのは初めてなので、なかなか拙いですが楽しくまとめられました。
今回のzineの販売ですが、
まずは10/23(日)に兵庫県は加古川河川敷で行われるこちらのイベントにて売ろうと思っています。
こちらで100人の自分展というスペースがあるので、わたしのたぬき愛をそちらに飾ろうと思っています。
たぬきエコバッグも持っていきます‼️
zineの価格はまだはっきりと決めていませんが、
本体価格は800円前後になるかな~?と思います。
もちろんイベント後は郵送などもできたらいいなと思っているので、もし欲しい方がいらっしゃればお声がけくださいませ(ˊo̴̶̷̤ ̫ o̴̶̷̤ˋ)
つくるとであうには、地域・国籍・性別・年齢いろいろごちゃまぜにしてみんなで楽しめるイベントに‼️という思いがあり、
ものづくりをする人もしない人もいろんなものとのであいを楽しんでほしいという気持ちがあるので、どんな方でも日程さえあえば来ていただきたいです💖
たのしみです(^_^)むふふ
中身もチラリ
今日のお散歩
今日のお散歩はiPhone曰く6.1kmですが、おそらく8kmは歩いたかと思われます。
今日は素敵な中国料理屋さんを見つけました
壁の絵も全部手描きで、丸テーブルも手作り!椅子の革もおしゃれで座り心地よくて綺麗で素敵だった
なんといってもくり抜かれたインテリアが素敵
お店の方の弟さんが劇団の美術監督さんをしてらして、その関係でこういうお店になったらしい
お料理もおいしいしデザートの杏仁豆腐も香り高くておいしかった
お店のお姉さんが声が綺麗で笑顔が素敵なショートカットで、将来こうなりたいな〜て全人類が思うであろう人だった
素敵なお店センサーびんびんの自分がこわい
また素敵なお店の写真載せます
こちらになりますよ♨︎
たぬきの潜む町のzine、入稿したよ〜‼️
https://instagram.com/tanuki_in_the_city?igshid=YmMyMTA2M2Y=
わたくしのInstagramアカウント、たぬきの潜む町の集大成とも言えるzineの完成が、もうすぐそこまで来ています‼️
自分で本など作るのは初めてのことなのでまだドキドキです。
30ページを超える超大作になります‼️
『つくるとであう』というイベントに出品予定です。
⬇️
https://instagram.com/tsukuru_to_deau?igshid=YmMyMTA2M2Y=
併せてエコバッグも持っていきますので、みなさまどうぞお立ち寄りくださいませ⠒̫⃝♡*
イベント出品も初めて‼️
余ったら通販なども考えています‼️
たのしみだな〜〜‼️
ドキドキ‼️
とりあえずおわり‼️
新潟の波打ち際で拾ったものたち
新潟市から南の方に402号線を走って、数回砂浜に降りて、めぼしいものが落ちていないかチェックしました‼️
「新潟 シーグラス」「新潟 ビーチコーミング」などで検索すると、いろいろ出てくることが分かります。
いろいろ記事を読んでいると、新潟ではヒスイがとれるらしい‼️とのこと。
ワクワク気分で父に何回も車を停めるようお願いしました。
一回目の砂浜
釣り人が多く、劣化したプラスチックは落ちてるけど、どこにもシーグラスはなさそう。。
マイ・スイートベイビーであるビーバーちゃんの帽子も見つけたよ
(シルバニアの赤ちゃんうさぎ用のニット帽とかかな?)
カニだか貝だかが潜った後がいっぱいあった
移動して次の砂浜へ🚗
次の砂浜もあんまり。。
貝の砕けたのや、劣化したプラスチックしかない
3つめの砂浜は、中国大陸からきた流木やゴミが激しく打ち捨てられていた
土地自体が石で出来てるみたいで、そこらの断面図がカッコイイ
韓国語の製品のほかにも、ロシア語や中国語を発見したよ
かわいいチープなネコチャンの包み紙
たくさん落ちてた瓜
黄色と緑の瓜で調べたらマクワウリっていうのが出てきたけど形がちがうみたい。
乾かしてひょうたんみたいにしたいなあと思って調べたら、ひょうたんはまず中身を腐らせて出さなきゃいけないみたいで、その時ものすごい悪臭がするのにほっとかなきゃいけないらしい。
アパートで激臭をほっとけないよ、と思いつつまだ腐ってないから部屋に飾ってます。
やわらかくなってきたらバイバイしようかな。
余談だけどこれを拾ったら蜂につきまとわれて怖かった‼️
寺泊に到着したのでごはん
わひゃ〜〜‼️‼️
わひゃひゃ‼️‼️
楽しくておいしかった♡
新潟にも原子力発電所があるらしい。(今は多分稼働してないのかな?)
目星の海岸はその真隣!
ここだよ。
駐車場の場所は分かりにくいけど、一本海に近づいて坂道を下る道があったからそっちに入ったら、左側に緑が茂ってる広めの場所に一台車が停まってたので、わたしたちもそこへ停めさせていただきました。
もともと海沿いはその辺に停車させる文化らしく、海水浴場や釣り場の周りには車がたくさん停まってました。
駐車場に停めて海に向かって右側によく見ると人が歩いてハゲた道があります。その他には左側に向かった先、旅館近くから無理やり下りるしか近くに道はなさそうでした。
http://narrow.blog.shinobi.jp/新潟市→長岡のドライブ/長岡を目指して%20~高浜海岸~
うまくリンクを貼れない💦けど、こちらのブログに詳しく書いてあるとおり
明らかに今までの砂浜と砂の質がちがう〜〜〜〜‼️‼️‼️
石が洗われて丸い‼️それもゴロゴロ落ちてる‼️
夢中になって40分ほど拾いました。
見よ‼️この、わたしの宝ものたちを‼️
一度しゃがんだだけで、大きいシーグラスや陶器が何個も拾えました。
しかも人っこ一人いなかった‼️
最高の場所でした。
わたしはしゃがんでいるのに疲れてしまって、もう入れる袋もなかったし40分で引き返したから、本当の貝溜まりには行ってないんだけど、あれは一日中いれる!
次回はちいさいイスとプラスチックの容器とサンダルで行こう。
一日中拾いたいな。
みてくれてありがとう🪷
父との話
父に会いに新潟に行ってきました。
仕事で挫折したことを父に説明しておきたくて、次に三連休がもらえたら絶対に新潟に行く!と決めていました。
旦那は都合がつかなかったため、わたし単身、留学時代以来初のひとりでの飛行機でした。
わたしの父は若いうちに妻を亡くしており、まだまだ育ち盛りだったわたしと兄を男手ひとつで育ててくれました。
幼いころの家族の記憶は、もう10年以上前の話になるのでいろいろと断片的なところも多いのですが、
父はよく母に内緒でパチンコに行き、つかってはいけないお金に手をつけて母が泣いていたり、
ある日学校から帰ると母が泣いていて、それを兄がなだめており、訊くと「お父さんが家出しちゃった」と。
母は優しく美人で女神のような人でしたが、父に関してはそんな母を傷つける男のように感じていました。
そんなこんなをしているうちに母は病気になり、「お母さんとお父さんが離婚するとしたらどっちについてくる?」とどこかで聞いたような質問をされ、涙ながらに母を抱きしめました。
当時夫婦仲がどんなものだったか、わたしたちが眠ってからどのような話し合いがされていたか知る由もありませんでしたが、父と母は離婚することなく、母は亡くなりました。
当時わたしは小学校卒業を目前に控えており、母親のいないまま中学に入ったわたしは少し悪い友達とつるむようになりました。
家族がそろっている友人に自分の苦しみが分かるわけないと思い、家に帰っても誰もいない寂しさから時間を気にせず遊べる友人関係に救われていました。
夜になってからあそびに出かけ、授業も無断で欠席するわたしに対して父は怒りましたが、わたしはまるで聞きませんでした。
年頃の時分に母親がいないことは、コンプレックスを増幅させました。
周りの友人は母親と服を買いに行き、母親と友人のような関係を築いたり、相談をしたり、迎えに来てもらったり、そういう話を聞くたびに普通の幸せさえ受けられない自分の環境に嘆きました。
わたしが母に会えるのは夢の中や、母が遺した日記や手紙の中だけでした。
修学旅行で沖縄からバスで帰ってくる時に、地元では大雨が降っていました。
バスの中から同級生たちは家族に車で迎えに来てよ、と連絡をしていましたが、わたしには迎えに来てくれる人は誰もいなかったから、泣きながら雨に濡れて帰りました。
惨めで悲しく感じて、心に余裕がなかった。今考えれば友達にでも話せばよかったのに、こじらせたコンプレックスを人に話すだけの気持ちの余裕はありませんでした。
母が死ぬことは分かっていたのに、現実逃避して会いにいかなかったことから、長い間母への罪悪感に悩まされました。
ある夜眠れなくて、ずっと母のことを考えて後悔していると、リビングの方から父の声がしました。
泣きながら母の名前を呼ぶ声でした。
わたしはそれまで、極端な話、家出してパチンコしてばかりの父が母を病気にしたようなものだと感じていたのですが、その声を聞いた時に一番つらいのが父だということに気がついたのです。
亡くなってから一年も経っていたのに、恥ずかしながら初めて気がついたことでした。
大学に入ってからもコンプレックスはひどい状態でしたが、努力して同じ門を叩いた人々の存在は心地よく、いろんな人々との出会いの中でわたしの心は和らいでいきました。
父との関係が本格的によくなった(と個人的に思っている)のは、わたしの留学先に父が遊びに来てくれた時です。
飛行機で10時間以上、トランジットを繰り返し、英語の通じない国までわたしに会いに来てくれたことが嬉しくて、初めて親孝行ができると思いました。
現地の友人に周遊バスの予約の取り方をきき、田舎まで観光名所を見に行き、ホテルで口聞きをして、観光案内をしました。
当時のわたしは人生で一番タバコを吸っていた時期だったので、父の見ていない隙にタバコを吸いに外を抜け出してはわざわざ会いに来てくれた愛に応えようと思いました。
その後も父が韓国でお世話になった人に会いにいくというので同行したり、実家にいた時は断っていたようなちょっとした同行に着いていくようになりました。
そんな折での今回の新潟旅行。
父の生存確認という目的が一番しっくり来ますが、何せ会いに行ってきました。
「僕は脂の乗ったサバが一番好きや」と言って焼きサバを頼む父。
カレイの食べ方を褒めたら「カレイは任しといて。小学生の頃から得意やねん」と言い綺麗に骨だけ残す父。
砂浜にお宝落ちてるかなと言ったら「降りてみるか」と言い車を停めてくれる父。
お店の人に腰低く愛想よく、喋りかけるタイミングを窺っている父。
わたしは父のこういう背中を見て育ったんだなと改めて感じました。
車の中で父は、自分のサラリーマン史を話してくれました。
どこにも受からず、名前を知っている企業を受けなければと思い仏壇屋さんを受けるも、家の宗派とお仏壇の色を聞かれ、「浄土真宗で、仏壇は黒色です」と適当に答えたら「おかしいなあ、浄土真宗は大抵金色なんだがなあ」と言われ落とされ、行く先のなくなった父は実家に呼び戻された。
祖父の薦めにより一年の就職浪人を経て通関士を取得。
新卒で入った物流の会社を四年勤め転職。
以降また別の物流の会社に16年勤めるが、所属部署が悉く統合と消失を繰り返しさまざまな部署を経験する。
営業職でのノルマに耐えられず一度目の逃走。
その後いくつか会社を転々とするも、その中の上司と折り合いが悪く仕事も楽しさが感じられず、妻の体調不良も相まり二度目の逃走。
以降はわたしも覚えているような経歴の話だった。
子どもの頃はただ逃げ出し、特に説明もなかった父にどういった目を向けていたかは語るまでもないが、その話は今のわたしにあまりにも染み、父への感情移入は今まででは考えることができないほどだった。
わたしも大人になり、家族や仕事へのプレッシャーから目を背けたかった父の気持ちがよくわかる。
亡くなった母への想像は膨らむばかりで、わたしの頭の中をひとりで成熟させたと思う。母の忘れ形見がふとした瞬間に家の中から出てくると、母とわたしに流れるエンパシーを感じて嬉しかった。母の遺した漫画やテープ、小説はいずれもわたしの好きなものだった。
父への真剣な思いや感謝の気持ちは直接伝えたことはないし、これからも面と向かって言うことはないと思うが、大変な思いで育ててくれた父が少しでも報われるように、わたしに何ができるか考えたい。
二人の素敵なひとが遺してくれた素敵なわたしで居たいものだね♡
bor pen nyang👌🏽
「酔っ払い猫の寄席」
某日眠りに入る前に頭に浮かんで、
忘れないように旦那に伝えてから寝た。
その日の夢
わたしは旦那と付き合ってなくて、別の人と付き合ってるのに
旦那とお互いパン一で遊びに行く夢だった。
調子の悪い日の夢の中では、脚が全然動かなくて身体が重くて苦しいけど
今日の夢は身体が軽くて軽くて、飛び跳ねるように二人で移動した。
手を繋いで身体を寄せて宙に浮くのは楽しくて、どうして付き合ってないんだろうと思った。
着いたのは古い廃墟ビル。
一階にはパチンコ、地下には喫茶店、四階建てくらいの火事で焼けたビルに見えた。
一階のパチンコ店はガラス張りになっていて、中から張り紙がされていて
「俺たちの楽園もどってこい」だの「火で焼け出されて俺たちの闘志も燃えている」だのそんなようなことが書かれていた。
中を覗くと焼け焦げた台や椅子が痛々しい。
しかしもうすぐこのまま開店するのかもしれないという予感がした。
旦那はずっと前からこの廃墟の喫茶店のことが気になっていたようで、こんな噂を教えてくれた。
「喫茶店には絶対にたどり着けない。霊が迷わせるから地下には行けないようになっている。」
なんじゃそりゃと思いながら地下へと続く階段を降りる。
カビと植物が這う廊下にはなぜか人がちらほらいた。その中で目をひいたのは警備員の姿だった。
なんでも廃墟巡りの対象として有名でひやかしにくる人が多い上に、霊がつくる迷路に迷ってしまう輩ばかりなので、正しい道を教えるために警備員を常駐させているのだそう。
警備員やひやかしに来ているであろう若者とすれ違いながら地下へ地下へと降りてゆく。
外から見た時には喫茶店は地下一階にあるように見えたのになかなか着かない。
五階分くらい降りて、外の景色を眺めてみると、わたしは地下五階どころか地上まで三十メートルはあろうかという高さに来ていた。
降りてきた階段は降りる専用で、なぜか登れなくなっている。
これが迷わされることかと思いながらいつの間にかはぐれていた旦那に電話をかけ、もう出ようと伝えた。
合流し警備員の指し示す方に進んでいると、広いコンピュータ室が左手に現れた。
コンピュータ室は焼け焦げ真っ黒になっており、誰かが面白半分に置いたのか、さまざまなマネキンが椅子に座っておりギョッとする光景だった。
中には生きている人間もいるようでマネキンの真似をしていたが、生気が吸い取られ顔は真っ白、身体は動かず本物のマネキンのようになっていた。
家に着き、そういえば本当にわたしと付き合っているのは誰だっけと思いただいまと声をかけると嵐のニノがおかえりと出迎えてくれた。
AIにも難しかったみたい