母の話
母が亡くなってもう15年が経つ。
あっという間だなあ。
タイムスリップして、いつの間にか無為に大人になった自分だけが残っているかのような感覚がある。
大人になって少しひいた視点から自分の子ども時代を思い出すと面映ゆいが、あの頃と何も変わらない自分がここにいる、とも感じる。
子どもの頃のわたしにセンスのいいものを教えてくれたのはいつも母だった。
今思えば、今のわたしを形成するもので、自分で選んだものってあったのかな?そう思う。
母の影響で谷山浩子やさねよしいさ子、沢田研二、イルカ、QUEEN・・・
聞いていた音楽は今でも大好きでよく聞く音楽ばかり。
作ってくれた料理やおやつ、買ってくれた絵本、教えてくれた番組
どれもこれも思い出しては懐かしくなるものばかり。
でも当時小学生のわたしには早すぎるものも多かったので、
母とそのもののよさを語り合った記憶はない。
わたしは思春期、実家で宝探しをするように母の遺品を探していた。
偶然戸川純のテープを見つけたのが中学生の時、ちょうど戸川純にハマっていたわたし。
わたしが母に似てるのか、母がわたしに似てるのか・・・なーんて。
母はわたしを主人公にした小説も書いている。
亡くなったお母さんがこどもとお話をするという優しいあらすじ。
どこかに応募するつもりだったのか、綺麗な字でタイトルと名前を原稿用紙に書いてある。
応募してしまったら原本は手元にないと思うから、やっぱりやめちゃったのかな。
母はブログも書いていた。
こぶこぶたのまいにち で調べると今でも記事が残っている。
母を思い出したい時にたまに読んでみる。
わたしのことも兄のことも書いてある。
なんだかいい風に書いてあるなと思う。
兄ほどできた子どもじゃなかったと思う。
母に依存的だったけど、心から思い遣って気を配れたことは一度もなかった。
当時は自分のことでいっぱいいっぱいで、いろんな現実を受け止められなかった。
わたしは虫みたいにボーッとした子どもだったから、母が生きている間にちゃんとメッセージを受け取ることはできなかったけど、
大人になってから、遺してくれたものから母の教えを受け取ることばかり。
いい母親だなあと思う。この世を去ってもわたしに諭してくれる。
こんな風に文章を遺すのは、わたしという肉体がなくなってもわたしが考えていたことをなくしてほしくないから。
わたしの愛する人が、わたしが亡くなったあとも宝探しをできますように。